著者
杉浦 滋子 Shigeko Sugiura
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.33-53, 2012-03

日本語で比況、例示、推量の用法をもつ「~みたいだ」は「~を見たようだ」が文法化した形式である。先行研究はその過程での形式が変化したこと、及び名詞以外の品詞の語に付くようになったことを指摘しているが、用法の広がりとして捉えるべきであること、用法の広がりにおいて意味の再解釈があることを指摘した。
著者
ベネシュ オレグ
出版者
麗澤大学
雑誌
言語と文明 : 論集
巻号頁・発行日
vol.2, pp.91-107, 2004-03-15

The supposed samurai code, or Bushido, was brought into the world in 1900 by Nitobe Inazo in his book of the same name. In Bushido, Nitobe attempted to create a unique Japanese ethical system that would be considered equal to Christianity. He, and other prewar scholars who followed him, formulated their ideology by taking certain exceptional historical incidents involving the samurai, which they then universalized by applying them to all samurai in all ages. The resultant ethical system had remarkably little connection with the actual warrior class which was eliminated in the wake of the Meiji Restoration, and placed far more emphasis on the virtues of loyalty, honor, and self-sacrifice than any of the historical samurai. Bushido, therefore, was one of many "invented traditions" that appeared in all parts of the world throughout the 19^<th> Century. Although Nitobe's original ideology focused more on the supposed ethical aspects of the samurai than the military, Bushido later became a useful tool for Japan's nationalistic and militaristic leadership, who used it to instill loyalty and obedience in both the imperial army and citizenship in general. Unlike many other invented traditions, however, Bushido is still thriving both in Japan and abroad, and has been adopted by Japanese industrialists, foreign economists, as well as writers and other artists. While the Japanese samurai class is not as unique as its mythical image seems to indicate, Bushido is not as singular as Nitobe desired it. It is, in fact, extremely similar to European chivalry in that both of these ideologies have a mythical attraction to great sections of society, despite the fact that neither has a firm basis in historical fact.
著者
ワチャラチャイ コーブルアン
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.33-59, 2017-03

本研究は、物語ナラティブにおいて、タイ語の関係節がどのように使用されているかを明らかにするため、タイ語の物語で使用された関係節を収集し、構造的および機能的に調査した。高橋(2011)による、「thîi 関係節」「sʉ̂ŋ 関係節」「裸の関係節」という3 つの関係節化形式の分類で分析した結果、タイ語の関係節は、各形式の統語的パターン、および使用される機能の傾向がわかった。「sʉ̂ŋ 関係節」と「裸の関係節」は主名詞が修飾節の主語という決まったパターンで使用されていたが、それに対して、「thîi 関係節」は修飾節の中で主名詞の統語上の位置は様々なパターンでもっとも生産的に用いられ、そして、「限定的用法」も「非限定的用法」もあり、益岡(1995)が指摘する、修飾節と主節の意味的な関係の用法もみられた。
著者
竹中 信介
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.131-151, 2014-03

「三種の神器」とは、日本神話に登場し、日本皇室に伝わる三種の宝物(「八咫鏡」「草薙剣」「八尺瓊勾玉」)のことである。「三種の神器」を構成する「鏡」「剣」「玉」の象徴的意味は、皇位継承のシンボルとしての役割ほど広く一般的に認知されていない。わが国では、歴史上、「三種の神器」の解釈論はいくつか存在するが、その中で展開されたのは主として天皇論との関わりにおける解釈であったものの、その解釈には単なる皇位継承のシンボルというだけでなく、その解釈者の宗教的、思想的背景を反映して形而上学的な多様性が認められる。さらに、本論では神道以外の諸宗教(仏教・道教・キリスト教)や文明圏(遼河文明)にも目を向け、シンボルとしての「鏡」「剣」「玉」に備わる多義性にも注目し、「三種の神器」の象徴的意味を比較文明・文化的視点から検討する。
著者
大野 仁美
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.153-159, 2014-03

日本語において文末に置かれる「ダ」が述語名詞句に後続しており、その主語となる名詞句が存在する場合、「ダ」はコピュラであると解釈されうる。しかし文中にはNPが1つしかない場合も、またNP が2つあってもそれらが主語と述語の関係になっていない場合もある。後者のような例としてよく知られているものにいわゆる「ウナギ文」があるが、その解釈をめぐっては省略や分裂文といった文の情報構造の分析が大きく関与する。本稿では「ダ」が省略などの情報構造上の現象と深く関わりをもつことを示したのちに、コピュラそのものが焦点マーカーと解釈される言語の例をあげ、日本語の「ダ」そのものはどの程度あるいはどのように情報構造と関わりを持つと考えられるのか問題を提起する。
著者
秋本 瞳
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.21-41, 2016-03

音声言語と話しことば、文字言語と書きことばとのずれを示すために、現代日本語書きことば均衡コーパス(BCCWJ)、及び日本語話し言葉コーパス(CSJ)を用い、チョット/スコシ、ヨ/ネの出現頻度から各ジャンルの特徴を考察した。その結果、チョット・スコシ、ヨ・ネの出現比率と、チョット・スコシのクラスター分析の結果から、BCCWJとCSJ の各ジャンルは、文字言語と音声言語といった基準によって分類できることがわかった。一方で、チョットとスコシ、ヨとネをそれぞれ総合した形、あるいは対立させた形でジャンルごとにみると、話しことば的、あるいは書きことば的な特徴の有無による分類等が考えられることが明らかになった。以上のことから、本稿では、音声言語/文字言語という枠組みではない、各ジャンルのテキストの文体的位置づけが行われ得ることを示唆した。
著者
服部 英二
出版者
麗澤大学
雑誌
言語と文明 : 論集
巻号頁・発行日
vol.2, pp.164-166, 2004-03-15
著者
加藤 あさぎ
出版者
麗澤大学
雑誌
言語と文明 : 論集
巻号頁・発行日
vol.2, pp.37-51, 2004-03-15

In order to study the causes of difficulty L2 children have in learning social studies, it is necessary to discern the knowledge and interpretation L2 children have regarding the vocabulary of their social-studies textbook. For that purpose, it is necessary to show clearly what vocabulary is used in social studies education. The first step in this research was to investigate the nouns currently used in the authorized social studies textbook. It became clear that, as children move up in grades, the rate at which nouns other than those that are part of the basic vocabulary appear increases as well. Additionally, it has been observed that the appearance of vocabulary that has been selected as basic vocabulary for adults also increases.
著者
黄 雲
出版者
麗澤大学
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.55-68, 2011-03-30

本稿では、日本語教育者ならびに朝鮮語研究者としての岡倉を取り上げ、旧韓末、日語学堂における岡倉の日本語教授法ならびに彼の朝鮮語研究と日本語教育との関連性を明らかにすることを試みた。岡倉(1894a:12)は、朝鮮での日本語教授において、学習者にとっての母語、即ち朝鮮語を媒介として授業を行い、その授業から得られた成果について述べているが、旧韓末朝鮮の「日語学堂」における日本語教育の成果は、日本語教授法に対する工夫から得られた結果と考えるべきである。岡倉は、その論文で語学教授の最も肝心なところは、教授法であることを力説しており、外国語教授において国語と外国語との比較を基礎とすることを主張しているが、このような彼の外国語教授観はチェンバレンから育てられ、旧韓末日語学堂の日本語教育におけるオレンドルフの教授法につながったと考えられる。岡倉が日本語教授に用いたオレンドルフ教授法は、文法・訳読式教授法のひとつであり教師が学習者の母語を充分に理解していることが前提となっている。朝鮮語、また岡倉に朝鮮語を教授したチェンバレンとの出合いが、日本語教育者としての岡倉を生み出した決定的な要因であったことを論じる。
著者
丁 仁京
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.35-49, 2014-03

本稿では、韓国語の「連体形+名詞」構造における語形成と、日本語の連用形における語形成との比較を行った。韓国語の「連体形+名詞」構造の中には、①日本語の「動詞連用形+接尾辞」と同様に、実質的に名詞一語相当の総称的表現を作るもの([[連体形]VP geos/gos]N)と、②「連体修飾+主名詞=名詞句」という構造を持ち、連体節が文字通り名詞を修飾し、主名詞が表すものの分類・限定を表す節を構成するもの([[連体形]VP N]NP)がある。[[連体形]VP geos/gos]N において、'geos(もの)' 'gos(ところ)'が主名詞というよりは名詞化辞に近い機能を持ち、形容詞-n 連体形、動詞-l 連体形も、分類・限定というよりは内容補充的な機能を持ち、形容詞は「属性」を、動詞は「目的・用途」を表す。日本語は形態面から一語であることが明確であるのに対し、韓国語では形態面からは一語である場合も句である場合もあり得る。
著者
岩佐 信道
出版者
麗澤大学
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.19-32, 2011-03-30

今日、人類は地球的な規模の極めて深刻な諸問題に直面している。これら地球的問題群とでも呼ぶべき問題に対処するには、一文化、一文明にとどまっているかぎり、その解決は困難で、地球を一つのシステムとしてとらえ、その中で人間の倫理、生き方を探求する必要がある。2006年に、地球システム・倫理学会が発足したのは、このような考えからである。この地球的問題群の中でも最重要といえる地球環境問題への対応は、とかく対症療法的となり、いわば「モグラたたき」に終わることが懸念される。今必要なのは、人間観の根本的な変革ではなかろうか。その点で、本学の創立者、廣池千九郎が確立したモラロジーでは、森羅万象はシステムとしてすべて連絡しており、エコシステムの一員である人間は、その宇宙の根本原理としての相互扶助の原理に従うことが必要としている。そして、廣池千九郎は、その実質を、人類の教師と呼ばれる人々の生き方を手がかりに探求し、最高道徳の原理として提示した。したがって、最高道徳は、地球システム倫理の実質を構成するものとして、今後真剣に研究される必要があるといえよう。このような地球システム倫理の教育という観点から、麗澤大学における道徳科学の授業とそれに関する研究結果の意義について論じた。
著者
秋本 瞳
出版者
麗澤大学
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.125-141, 2011-03-30

本稿の目的は、先行研究で示されている意味的な解釈とは異なる観点から「の」「こと」の使い分けを捉えなおすことができる可能性を示すことである。今回は、電子化されたテキストから用例を収集、「の」「こと」が用いられる用例の助詞や品詞といった面から、その可能性を示唆するための基礎的な資料を作成した。具体的には、用例の「の」「こと」に後続する助詞「は」「が」「を」、主節の述語として用いられる「形容詞」「動詞」「名詞」「サ変名詞」といった品詞で分類した。その結果、「の」「こと」に後続する助詞や品詞により「の」「こと」の表れやすさに差異があることが示唆された。